ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男
第二次世界大戦初期の1940年5月10日、ドイツ、イタリアに対し宥和政策をとったネヴィル・チェンバレンはその失策により辞任し、新たに成立した保守党と労働党による挙国一致内閣の首相として就任したのは主戦派のウィンストン・チャーチルであった。
しかし、それは有事の際の貧乏くじのような人事で、国王ジョージ6世のチャーチルを迎える立場も冷たいものであった。
あくまでもナチス・ドイツらへの徹底した抵抗を訴えるチャーチルだが、チェンバレンとハリファックス子爵を中心とする保守党は、ヨーロッパを侵攻し、拡大するアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツの危機に対して講和の道を探り、チャーチルと対抗する。しかし、事態が進行し、ついにはフランスがナチス・ドイツに敗北する事態になり、ヨーロッパ大陸に展開するイギリス軍も全滅の危機を迎える。更には講和の道を探るか、さもなくば大臣を辞任するというハリファックス子爵とチェンバレンが要求する事態になり、チャーチルは選択を迫られる。